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高知地方裁判所 昭和33年(行)11号 判決

原告 幸川三郎 外一八〇名

被告 高知県教育委員会・安芸市教育委員会 外二八 市町村教育委員会

主文

本件訴はいずれもこれを却下する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

原告ら訴訟代現人らは「原告らが、被告高知県教育委員会及び別表下段記載各被告市町村教育委員会に対し、『県費負担教職員の勤務成績の評定に関する規則(高知県教育委員会規則第六号)』及び『高知県公立学校職員の勤務評定実施要領』に基いて、原告ら所属学校教諭らの勤務評定をなし、その評定書を提出する義務のないことを確認する。訴訟費用は被告らの負担とする。」旨の判決及び右請求が認容されない場合「被告県教育委員会が、昭和三三年六月一三日なした『県費負担教職員の勤務成績の評定に関する規則』第六条、及び第七条第一項の制定公布処分は無効であることを確認する。」旨の判決を求め、その請求原因として、次のとおり述べた。

一、原告らは、被告高知県教育委員会(以下「県教委」と略称する)により任命され、県費負担教職員の勤務する別表記載の各学校の校長である。県教委は、昭和三三年六月一三日地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下「地方教育行政法」と略称する)第四六条の規定に基いて市町村教育委員会(以下「市教委」と略称する)の行う県費負担教職員の勤務評定に関し、県費負担教職員の勤務成績の評定に関する規則(高知県教育委員会規則第六号、以下「県教委規則第六号」と略称する)を制定公布、同日施行し、ついで県教委規則第六号第三条第一一条に基き、県教育長は、高知県公立学校職員の勤務評定実施要領(以下「実施要領」と略称する)を定め被告市教委らはこれに基いて、原告らに対し、所属職員の勤務評定を実施し、勤務評定書を被告らに提出するよう通達しこれにより原告らは形式上所属学校職員に対し、県教委規則第六号及び実施要領の規定に従い、勤務評定をなすべき義務を負担することとなつた。

二、しかしながら、県教委規則第六号及びこれに基く実施要領の制定公布ならびにこれに基く被告らの原告らに対する勤務評定書提出命令は、次に述べるとおり、形式的にも実質的にも無効であり、従つて原告らに勤務評定をなす義務は存在しない。即ち、

(一)  地方教育行政法第四六条は、勤務評定は、都道府県委員会の計画の下に市町村委員会が行うものとする旨規定し、勤務評定の実施権者は市町村教育委員会であることを定めている。ところが、県教委規則第六号によれば校長を除く職員の勤務評定者は、職員の所属する学校の校長である(同規則第七条)とされ、市教委教育長は、これが評定の調整者とされているに過ぎない。即ち、県教委規則第六号第七条は、勤務評定者を市教委であるとする地方教育行政法第四六条に違反し、勤務評定義務のない原告ら校長を勤務評定者とし、かつ勤務評定をなすことを義務づけている。

このように地方教育行政法第四六条に違反した県教委規則第六号は無効である。

(二)  また、地方教育行政法第四六条にいう勤務評定に関する都道府県委員会の計画とは、同法第四三条第四項に規定された市教委に対する一般的指示の範囲に限られるべきものであるところ、県教委規則第六号は、評定の実施時期、評定者の特定、市教委の県教委に対する報告義務、勤務評定書の効力及びその期間、県教育長の評定書作成権等勤務評定の方法効力などを詳細かつ具体的に定めている。これは、県教委が、地方教育行政法第四六条の計画権の範囲を逸脱して、勤務評定実施権者たる市教委の権限を侵害し、実質的には県教委が市教委の勤務評定実施権を奪つていることにほかならないものというべく、県教委規則第六号は、地方教育行政法第四六条及び憲法第九二条に規定する地方自治の本旨に違反するもので無効である。

(三)  また、校長及びその他の職員の本務はいずれも児童生徒の教育であり、その教育は、教育基本法によつて明らかなように、教師が自己の理想とする人間像に従つて対象に働きかける極めて全人格的、個人的、創造的な活動である。このような職務の本質から教師は学問の自由、教育の自由を保障され、教育に関し、校長と各職員相互の関係は独立対等であり、かつ本質上他の介入を許さない性質を有し、教育行政権も学問の自由、教育の自律性を侵さないことをその任務の限界としていることは、教育基本法第一〇条第一項によつて明らかである。ところが、県教委規則第六号及び実施要頃は、教育を本務とする校長に対し、他の職員の教育活動内容に関し、その評定を強いるもので、その制定の動機と目的は教育の自主性、民主化の原則ならびに教職員の労働法上の諸権利を奪い、かつ教育の権力的支配を確立するにあり、これは憲法第二八条、教育基本法第一〇条第一項に違反するのみならず、民主々義、平和主義を基調とする憲法の精神に抵触し無効である。

(四)  勤務評定制度が勤務能率の増進という所期と目的を達成するためには、評定の方法が科学的合現的であり、かつその結果において信頼性及妥当性がなければならない。

ところが県教委規則第六号、実施要領はこれらの条件が満たされておらず、その評定要素は人格的評価を主とし、専ら評定者の主観的判断のみによつて評定が行われる危険性を包蔵し、到底科学的、客観的評価方法といえない。このような主観的、非科学的評定を校長に義務づけることは、社会通念上若しくは技術的かつ客観的に不可能な評定を強いることにほかならず、これを強要する県教委規則第六号実施要領ならびに職務命令は、内容が不可能である点で無効となるのみならず、校長としての良心の自由及び学問ならびに思想の自由を侵すものとして、憲法第一九条第二三条に違反し無効である。

以上に述べたとおり、県教委規則第六号、実施要頃ならびに職務命令はいずれも憲法及び法律に違反し、若しくは社会通念上その実現不可能な勤務評定を要求するものであるから、その瑕疵が明白かつ重大であること明らかである。

三、原告らは、無効な県教委規則第六号、実施要領、ならびに市教委の通達等の一連の処分により、原告ら個人としての前記憲法上の諸権利及び勤務の定量性の保障(労働契約の趣旨、制度目的から合理的に承認される範囲で有効な法律規則命令又は指令による職務のみを負い、それ以外の職務を課せられることがないという保障ないし法律上の利益)を侵害され、かつ勤務評定書提出義務に違反することにより、懲戒責任を問われ、或は昇給停止、減給等の処分を受ける危険がある。

四、また、県教委が昭和三三年六月一三日制定公布した県教委規則第六号は、形式上一般抽象的な定めであつても、それが直接国民の法律上の地位に影響を及ぼす意味において、行政事件訴訟特例法第一条にいう行政処分として行政訴訟の対象たりうるものといえる。即ち、県教委規則第六号は評定の種類時期、勤務評定書及勤務評定報告書の様式と使用区分、評定者及び調整者を詳細にわたつて規定しており、市教委に勤務評定に関する裁量も与えられていない。即ち、校長の勤務評定義務の内容は県教委規則第六号及び実施要領によつて具体的に(特に同規則第七条第一項において校長を勤務評定者と定めていることにより)確定されており市教委の何等の意思決定ないし処分を予定しない。この意味において、校長に対する勤務評定義務の表見的発生原因は、県教委規則第六号及び実施要領であるといえる。市教委は、原告らに対し、勤務評定書を提出すべき旨の職務命令を出しているが、特定年度における個々の勤務評定書を提出すべき旨の職務命令は、県教委規則第六号において原告らを勤務評定者と定めたことによつて既に発生した評定義務の確実な実行を求めるために、原告らの注意を喚起する意味で出されたものに過ぎず、職務命令によつて初めて評定義務が発生するものではない。そして前に述べたとおり、県教委規則第六号及び実施要領はいずれも無効であり、原告らは個人的権利及び利益を侵害され、又は侵害され危険がある(前記二、三に述べたとおり)。

五、よつてまず、県教委規則第六号、実施要領の各制定公布、ならびこれに基く市教委の通達等の一連の措置を一個の処分としてとらえ、これが無効を前提として、原告らに勤務評定義務のないことの確認を求めこれが認められない場合は予備的に県教委規則第六号のうち、勤務評定書及び勤務評定報告書の様式及びその使用区分ならびに評定者及び調整者等を定めた第六条、第七条第一項の制定公布処分が無効であることの確認を求めるため本訴に及んだ。

以上のとおり述べ、

被告らの本案前の抗弁に対し、次のとおり述べた。

一、勤務評定義務不存在確認の訴は抗告訴訟に準ずるものである。即ち、一般に行政処分無効確認訴訟は、行政行為の表見的効力の除去を直接の目的とする意味で、優越的地位に基く行政権の行為を争うもので、この意味において抗告訴訟に準じたものとして認められている。本件訴は県教委規則第六号及び実施要領の制定公布ならびに市教委の通達等の一連の措置を一個の処分としてとらえ、これが無効確認を求むべきところこれと全く裏腹の関係にある原告らの義務不存在確認を求めるもので、行政行為無効確認訴訟と性質を同じくする。こゝで、県教委と市教委のそれぞれの措置を一括し、この両者を被告とすることは一見理由がないようにみえる。しかし県費負担教職員は、任命権、懲戒権は県教委に、その服務監督権は市教委にそれぞれ分掌され、その両者によつて義務の遂行を迫られ、或は責任追及をうけ、義務の発生自体も両者の緊密に結びついた一連の措置によるものである。この意味で原告らは、勤務評定義務の不存在をこの両者のいずれの間においても確認されなければならない利益を有し、かくすることによつて始めて紛争解決がはかられるものといえる。両者を被告とすることは、法律関係の錯雑した教育行政組織の特殊性に由来するものであり、被告らの抗弁は、この特殊性を忘れた謬論である。

二、仮に抗告訴訟に準ずるものでないとしても公法上の当事者訴訟に準ずるものである。即ち、本訴は原告らが個人として被告らに対し公法上の義務(勤務評定書提出義務)のないことを求めるものである。この意味でこの種の争いが公法上の権利関係に関するものであること明らかである。また本訴は行政処分そのものを対象とするのでなく、それを前提とする権利関係に関する訴訟たる意味で対等な権利主体間の争いであるといえる。さらに原告らは行政機関としてでなく、行政機関の地位にある個人として本訴を提起している。この意味で原告らが権利主体であることは明らかである。

次に、被告らはいずれも行政庁であり、本来権利の帰属主体ではない。しかし何らかの意味で法律効果が帰属する場合、その帰属する者の地位を指して人格又は権利主体性を有するとするならば、行政機関も限られた範囲で人格を有し権利主体性を有するものといえる。本件のように労働契約上の義務(勤務評定書提出義務)の存否が争われている場合、使用者としての権能を分掌している県教委及び市教委は限定的に人格を認めるべきであり、かつ本訴はかかる地位にある県教委及び市教委を被告とすることによつてのみ争いを実質的に解決しうるものといえる。

三、次に本件は、原告らが校長たる職若しくは機関として、その機関の権限に関する争いを訴訟物とするのでなく、原告らが校長たる地位にある個人としてその個人的権利義務に関する争を訴訟物としているのである。従つて本件訴はいわゆる機関訴訟には属さない。仮に機関訴訟とするも原告らと被告らには共通の上級機関がなく、かつ問題が公正な第三者の判断を求めることを適当とするから、かかる場合法の不備を救済する意味で、限定的に行政機関に形式的人格性を認め、訴訟の提起を許すべきである。

四、一般に特別権力関係にある上司の職務上の命令を訴訟物として下僚が訴訟を提起することは許されないとされている。しかし本件訴は、市教委の職務命令(通達)を直接の訴訟物としているものでない。そもそも市教委の職務命令は勤務評定義務発生の要件ではないと考えられるが、仮に市教定の職務命令が本件義務発生の要件としても、本件訴においては、その無効は前提問題として主張されているに過ぎない。そして特別権力関係の問題は上司の下僚に対する職務上の命令を訴訟物にするときには問題となるが、本件のようにその無効を前提とする争いについては問題とならない、のみならず、本件は原告らが個人としての諸権利が侵害されたことを理由とするものであり、かかる個人としての権利が直接影響をもつ限り司法審査の対象となることは明らかである。

被告ら訴訟代現人らは、本案前の抗弁として主文と同じ趣旨の判決を求め、その理由として次のとおり述べた。

原告らは、本件訴を個人として提起しているが、その主張する所は、いずれも校長たる職務上の地位に関する紛争に帰着し原告ら個人の権利義務に関係がないから行政事件訴訟特例法第一条にいう抗告訴訟ないし当事者訴訟として認めることはできず、不適法である。即ち、

一、県教委規則第六号及び実施要領ならびにこれに基く市教委の勤務評定書を提出すべき旨の命令は、上級行政機関たる県教委又は市教委から下級行政機関たる原告ら校長に対してなされた訓令であり、職務上の地位を離れた原告ら個人に対してなされたものでない。このように行政機関相互における訓令をめぐる紛争はいわゆる機関訴訟として法律に特別の定めのない限り裁判の対象とならないものというべきところ、本件に関し、そのような特別規定はない。

二、また右に述べた勤務評定書提出命令は同時に上級行政機関たる市教委から下級行政機関を構成する公務員たる原告らに対し、その優越的地位に基いて発せられた職務命令たる性質を有している。右のような関係においてなされた職務命令は行政の分野における特別権力関係の純然たる内部的秩序に関するものであり、市民法秩序における個人の権利義務となんら関係がないから、裁判の対象となりえない。

三、次に原告らは、県教委規則第六号及び実施要領ならびにこれに基く職務命令等によつて、原告らの権利を侵害されたと主張するが、県教委規則第六号及び実施要領は、県教委が地方教育行政法第四六条に基き、市教委において勤務評定をするについての基準を定めたもので、右規則等によつて直接原告らに義務を負わせるものではない。

従つて県教委は原告らと直接の法律関係を生ずるものではないから、県教委は被告としての適格を有しない。更に原告らの本訴は次に述べるとおり、権利侵害の事実ないし確認の利益がない。即ち、原告らは県教委規則第六号等が無効である旨主張するが、右規則等が本質的に無効であるとすれば、原告らはなんらの義務も負担しないから権利侵害の生ずる余地はないものというべく、また現在原告らにはなんらの損害も不利益も生じていない。原告らは、教師としての良心の自由が侵害されていると主張するが、前記規則等は直接原告らの良心の自由を侵害するものではないし、仮に原告らが右規則等によつて良心的制約を受けるとしても公務員たる地位にあることからくる当然の帰結であり、また良心の自由も公共の福祉によつて制約を受けることは憲法も自認するところである。原告らは右規則等により勤務の定量性の保障を侵害されたと主張するが、勤務の量が、右規則等によつて、従前の公務内容、分量、勤務時間、努力の程度に比較してどの程度増大したかを具体的に主張していないからこれをもつて直ちに権利侵害ありとすることはできない。

以上のとおり述べ、

本案について「本件各請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」旨の判決を求め、答弁として次のとおり述べた。

一、原告らの請求原因のうち、原告らが県教委によつて任命された県費負担教職員の勤務する別表記載の各学校の校長であること、県教委が昭和三三年六月一三日地方教育行政法第四六条の規定に基いて、市教委の行う、県費負担教職員の勤務評定に関し、県教委規則第六号を制定公布、同日施行し、ついで県教委規則第六号第三条、第一一条に基き県教育長において実施要領を定め、市教委らはこれに基いて原告らに対し、所属職員の勤務評定を実施し、勤務評定書を提出するよう通達したことは認める。

二、県教委規則第六号及び実施要領ならびにこれに基く職務命令は、次に述べるとおり、いずれも適法であり、原告らの主張は失当である。

(一)  県教委規則第六号は、地方教育行政法第一四条、第四六条に基き制定公布されたものであるところ、同法第四六条において、市教委を勤務評定実施権者と定めていることは、右実施権者をもつて直ちに勤務評定者とする趣旨ではない。従つて、県教委は勤務評定を実施するにあたり、その計画権の範囲において、同法第一四条に基き、さらにその評定者を定めうるものというべきである。そして、学校教育法第二八条及び第四〇条によつて、所属職員に対し監督権を有する校長を評定者と定め、かつその権限の一環として所属職員の勤務評定をなさしめることはもとより法の容認するところであり、これを基礎とする実施要領及び職務命令ももとより適法である。

(二)  地方教育行政法第四六条において、県教委の計画権を規定した趣旨は、勤務評定が職員の勤務成績を統一的に評定し人事管理の基礎資料とすることにあることにかんがみ、原告ら所属職員の任命権を有する県教委において、評定の基準化、統一化を期する意味で設けられたものといえる。従つて、県教委において、評定の時期、期間、評定者、評定方法に関し、その基準を定めることは、もとより右計画の範囲として法の容認するところであるのみならず、右のような基準を設定することを同条において要求されているものというべきである。また、同条にいう計画権は、職員の勤務評定に関する特別規定として、規定されたもので、同法第四三条第四項にいう一般的指示が、右計画についても適用されるものではない。のみならず勤務評定の計画権及び実施権は、本来職員の任命権を有する県教委の権限に帰属していたものを、職員の服務監督権を有する市教委に実施権のみを委譲したものと考えられるから、いずれにしても原告主張のような違法はない。

(三)  次に原告らが教育基本法第一〇条第一項により、教師として教育に対する不当な支配介入をされないことの保護を受け、かつ教育に関し、教育の自主性、民主化の原則が基調となつていることは原告所論のとおりであるが、校長も職員も相互対等であり、その間に階級性もなく、また服務監督権もないとするのは教育そのものと教育行政の二面性を無視混同した論議である。校長は教師として、教育に関し他の職員と同様に原告主張のような各種の保障を与えられているが、同時に教育行政に関しては、校務をつかさどり職員に対し服務監督権を有することは、教育関係諸法の規定から明らかなところであり、教育行政面における人事管理の基礎資料たる勤務評定をなすことは、その動機及び目的においてもなんら違法視さるべきでないし、勿論憲法第二八条及び教育基本法第一〇条第一項にも違反するものでない。原告らの主張は、行政目的が上司と下僚の公務員の系統的協力による公共の福祉の実現にあることを忘れ、教員、校長ならびに教育委員会の教育に関する現行実定法分野における地位、権限、職責等を単に制度上の形式論として取扱い、現行諸法令を離れ、独自の見解を展開するもので、所論は到底容認できない。

(四)  また原告は、勤務評定に関し、人事院規則に規定する諸条件の具備を要求しているが、人事院規則は国家公務員法第七二条に基き制定され、国家公務員に対し適用されるもので、その基準は参考資料となりうるとしても、右諸規定が直接本件勤務評定に関し適用されるものではない。また原告らは県教委規則第六号及び実施要領等に基く勤務評定の実施が不可能であると主張するが、これは実体を無視した論議であり、同種の勤務評定が殆ど全国において実施されていることは明白にこれを裏づけているものといえる。さらに原告らは、県教委規則第六条において校長を勤務評定者と定めることは、原告らの校長として良心の自由若しくは思想の自由を侵害するものである旨主張するが、その理由がないことは本案前の抗弁において、述べたとおりである。

理由

一、本件訴訟は、まず第一に原告らが、県教委のなした県教委規則第六号及び実施要領の制定公布行為ならびにこれに基く市教委の職務命令がいずれも無効であることを前提とし、原告らに勤務評定義務のないことの確認を求めるものである。

ところで本訴は、いずれも行政庁たる県教委及び市教委が被告として訴えられていることからして(行政事件訴訟特例法第三条参照)、まず行政事件訴訟特例法第一条にいう行政庁の違法な処分の取消又は変更を求める訴(以下抗告訴訟という)として認められるかどうかについて考えてみる。いわゆる抗告訴訟といわれるためには、行政処分の違法な処分そのものの取消変更を求めるとか、或は行政処分としては無効であるが行政処分としての外観をもつため、その表見的存在がもたらす原告の法律上の地位に対する不安危険を除去するという意味において抗告訴訟に準じて認められる行政処分の無効確認を求めるものでなければならないと考えられるところ、原告らが本訴において求めているのは、行政処分(本件の場合何が行政処分であるかは別として)の無効を前提として、現在原告らに公法上の義務がないことの確認を求めるものであり、行政処分そのものの無効確認を求めているわけではない。従つて本訴は原告主張のように抗告訴訟若しくはこれに準ずる性質をもつものではない。

次に、本訴が行政事件訴訟特例法第一条にいう公法上の権利関係に関する訴(以下当事者訴訟という)として許されるかどうかについて考えてみる。一般的について、行政処分が無効である場合、これにより権利を侵害された者は、その行政処分そのものの無効確認を求めることとは別に、その無効であることを前提として、直接現在の法律関係の確認等を求めることも許されるものと解せられ、そのような訴が右にいう当事者訴訟としての性質をもつことは明らかである。本訴は勤務評定書を提出すべき旨の行政処分が無効であることを前提として、直接右処分に基く提出義務のないことの確認を求めるというのであるから、この訴の性質は公法上の権利義務関係の存否確認として、右にいう公法上の当事者訴訟たる性質をもつものといえる。しかし、公法上の当事者訴訟として、訴が適法であるためには、さらに行政事件訴訟特例法第一条により民事訴訟法の規定が適用される結果相対立する権利主体間の訴訟形態をとり、当事者はいずれも権利主体でなければならないことも明らかである。

しかるに被告たる県教委及び市教委は、いずれも行政庁であり、権利主体たる地位をもたないこと明らかである。この点に関し、原告らは、被告らが原告らに対する任免権及び服務監督権を分掌している限度において、被告らに限定的に人格が認められるべきであると主張するが、行政事件訴訟特例法第三条の如き規定のない以上現行法の解釈として、これを認めることができない。従つて本件訴を当事者訴訟として取扱うとしても、右に述べたように被告らは、権利主体でなく、被告たる当事者能力を欠くものというべく、またほかに本件訴に関し出訴を認める旨の特別規定もない。

してみると、本訴はその余の判断をまつまでもなく不適法であるから、これを却下すべきである。

二、次に、原告らが本件訴訟において求めているのは、県教委規則第六号第六条、第七条第一項の制定公布処分の無効確認である。しかしそのいう所は制定公布という規則成立過程における手続上の瑕疵を問題とするのでなく、右規則の効力そのもの自体を独立の問題として裁判の対象とするものであることは主張自体から明らかなところである。

一般に法令又はその制定行為の取消ないし無効確認を対象とする訴は、抽象的な法令の効力を判断することに帰し、具体的な権利義務の存否に関する紛争にあたらないから、具体的権利義務の存否についての判断を本質とする裁判の対象にはならないとされている。本件訴は、県教委の制定した規則の無効確認を求めるものであるところ、右県教委規則は、地方教育行政法第一四条に基き制定されたもので地方公共団体の長が定める規則と同様教育委員会の独立した権限に基き制定された自治立法の一形式であり、抽象的法規範たる形式を具備しているものといえる。しかし、形式的には法規制定の形式でなされても、その制定公布によつて、直接特定の者に具体的権利義務が法律上発生し、これに基いてさらに行政処分の行われることを要しないような場合、通常の行政処分と異るところがないから、行政事件訴訟特例法第一条にいう行政庁の処分の意味もかような場合も含めて訴訟の対象としているものと解すべきである。従つて単に請求の趣旨において法規範の効力について判断を求めていることからのみ即断することはできず、進んで当該法規範の内容について検討してみなければならない。

ところで、本件県教委規則第六号は、その第六条において「勤務評定書及び勤務評定報告書の様式とその使用区分は別表のとおりとする。」と規定し、その別表において県費負担教職員の勤務評定書及び勤務評定報告書の様式と使用区分を定め、同第七条第一項は「評定者及び調整者は次の表に掲げるとおりとする。」旨規定し、その表において、校長、校長職務代理者の評定者を市町村教育委員会教育長(教育長に事故あるとき又は教育長が欠けたときはその職務代理者)としまた校長及び校長職務代理者を除く職員については、その評定者を職員の所属する学校の校長(校長に事故あるとき又は校長が欠けたときはその職務代理者)、調整者を市町村教育委員会教育長(教育長に事故あるとき又は教育長が欠けたときはその職務代理者)として各規定しているところ、右規定のうち、第六条は、勤務評定書及び勤務評定報告書を作成するさいの記載事項についての様式と使用区分を規定し、劃一的処理を必要とする勤務評定の記載事項の基準を設定したものにほかならず、また、同第七条第一項は、その規定からすれば、現在及び将来における不特定多数の県費負担教職員が勤務評定者もしくは被評定者となること、及びその場合の評定者と被評定者になる者の職務上の地位を定めたものにほかならず、結局右各規定は、特定の原告ら校長のみを対象とし直接勤務評定者としての具体的義務を負担させる趣旨のもとに規定されたものでないこと明らかである。

以上述べたとおり、県教委規則第六号第六条及び第七条第一項は、いずれも一般的、抽象的法規範の定立をその内容とし、原告らが右規則によつて直接権利義務に影響を受けるものでなく、さらに勤務評定実施権者たる市教委による勤務評定を提出すべき旨の行政処分(本件に関しこの趣旨の職務命令が出されていることは当事者間に争いがない。)をまつて始めてその権利義務が具体化されるものというべきであるから、結局本訴は行政事件訴訟特例法において準抗告訴訟として認められる無効確認訴訟の対象たる行政庁の処分とはいえず、裁判所の権限に属しない事項について判断を求めることに帰着し、その余の判断をするまでもなく不適法として却下すべきである。

三、よつて、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 合田得太郎 島崎三郎 加藤義則)

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